ディスク・オルゴールは1886年、シンフォニオン社により製品化されました。1台の機械があれば何曲でも好みの演奏が聴けること、手間の掛かる高価なシリンダーを必要とせず低価格化が実現したことなどで、ディスク・オルゴールはシリンダーに代る次代を担う新しいオルゴールとなるのです。ドイツ、アメリカに続々とメーカーが登場します。1885年のドイツ・シンフォニオン社の創業をはじめとし、1887年にポリフォン社、1894年にアメリカ、レジーナ社が創業します。後にこの3社はディスク・オルゴールの3大企業となり、その売上はオルゴール市場の約90%を占めるまでになります。「シンフォニオン社は創業2年後には120人の職工を雇い入れた。」「最盛期の従業員数はポリフォン社が1000人、シンフォニオン社が約400人、レジーナ社は325人であった。」など、繁栄を裏付ける記述があります。
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メーカーはまず、コイン1枚で演奏が楽しめる営業用のディスク・オルゴールを生産し、パブやホテルのロビーなど人の多く集まる所に置きました。ジュークボックスの原型です。このことが宣伝となり、ディスク・オルゴールは一般大衆に広く知られ、購買欲を高める結果となります。ディスク・オルゴールは家庭用の小型のものから営業用の大型のものまで、様々な種類が製造されました。シンフォニオン社の記録に1903年に販売したオルゴールは6千台、ディスクは10万枚。レジーナ社の記録には1894年から1921年の間に販売数は10万台を超えたとあります。まさにこの繁栄は、一般大衆に受け入れられるだけの低コスト化に成功し、飛躍的に需要が拡大されたからといえるでしょう。
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ディスク・オルゴールは技術の面でも発展を遂げていきます。ベルやチャイムなどの楽器と合奏するもの、ディスクを2枚、3枚と同時に演奏するものなどが登場します。
パブなどに置かれた評判のコインオペレート機では、店員が忙しい時にはディスクを交換してもらえず、何度も同じ曲がかかってしまうという欠点がありました。そこでディスクをあらかじめ複数セットし、ゼンマイの力だけで自動的に交換するオートチェンジャー機もつくられました。
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当時の価格は幾らくらいだったのでしょう?1893年のメルモド・フレール社の
広告ではシリンダー・オルゴールが50~1,000㌦で販売されています。対する
ディスク・オルゴールは、1896年のレジーナ社の広告で10~300㌦、1901年では10~400㌦とかなり低価格です。約40㌢のディスクを使用する家庭用のものは50~75㌦。更に25㌦追加すると蓄音機が聞ける兼用機を購入できます。
営業用のコインオペレート機の広告には「もし1日にわずか5㌣しか稼がなくても、1年間で代金の20%が回収でき、もし1日1㌦稼いだら、400%の回収が可能です。」と書かれています。つまり一台約90㌦の計算です。ちなみに1曲の演奏代金は1~5㌣だったようです。ご参考までに1909年に初めて量産された自動車「T型フォード」は850㌦ (‘29年には250㌦まで下がる)で販売され、フォード工場の労働者の日給は5㌦という記録があります。(注:フォード社の賃金は高く、$5は当時の平均賃金の倍だったようです。)
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1877年、エジソンによって蓄音機が発明されました。エジソンの蓄音機は書記の代わりの文具として販売されていたことや、蓄音機の性能の悪さから、ディスク・オルゴールは20世紀初頭まで音楽再生装置として活躍することとなります。しかし、1920年代になるとラジオ放送が始まり、蓄音機の録音技術の改良により、オルゴールはその繁栄の歴史を閉じることとなります。
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