1904年、ドイツのエドウィン・ウェルテと義兄のカール・ボキッシュによりリプロデューサー(再生装置)と称されるピアノの自動演奏を制御する装置が発明された。ピアニストの演奏をそのままーペダリング、アクセント、クレッシンド、ディミヌエンド等ー再現することが可能となった。ウェルテの再生方法はウェルテ・ミニヨン(方式)といわれ、この方式の特許を得て、ヨーロッパではスタインウェイ、フォイリッヒ、イバッハなどの著名なピアノ・メーカーがリプロデューシング・ピアノを発表した。その後数社がそれぞれ独自の方法で再生装置を開発していった。このリプロデューサーはウェルテ社のグランド・ピアノに組み込まれたもの。音楽信号はロール・ペーパーに穿孔され、ピアノに組み込まれたトラッカー・バーの上をロールが通過すると、穿孔された部分に空気が通り信号を読み取る。トラッカー・バーにはピアノの鍵盤に対応する88の穴と、演奏の忠実度を高めるための、ペダリング制御、キイ・タッチ制御の穴が開けられ、それぞれの穴で読みとられた信号が、空気の量をコントロールしてピアニストの微妙なキイタッチまでを再現して演奏することが可能。
代表的な再生ピアノには、発明の年代順に、ウェルテ・ミニョン(ドイツ、フライブルク,1904)、アンピコ(アメリカンピアノ社1913)、デュオ・アート(アメリカ、エオリアン社、1914)の3つが挙げられる。
ウェルテ・ミニョンはヨーロッパ、北米、南米、ロシアでも売れ、ウェルテ社はピアニストたちの録音を集めるために1910年にサンクトぺテルブルグ、1913年にパリに録音機器を持って出張している。再生ピアノは非常に高価であったため、自動ピアノは普通のピアノよりも売れなかったのだが、録音装置としてピアニストたちの評価を集めて隆盛した。
再生ピアノに演奏録音を残しているクラシック音楽のピアニストや作曲家には、ストラヴィンスキイ、グリーグ、ドビュッシー、バックハウス、パデレフスキ、プロコフィエフ、ホロヴィッツ、ラヴェル、ラフマニノフ、リヒャルト・シュトラウスらがいる。作曲家の多くは自らの作品を演奏しており、そのほか当時の再生ピアノのレパートリーには家庭で演奏されていたようなピアノ曲、すなわちリストの《愛の夢》やショパンの《幻想即興曲》などや、無名の作曲家たちの作品も数多く記録された。もちろん、クラシック音楽以外に、ポピュラー音楽やジャズもたくさん記録された。
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