三協精機製作所と国産オルゴール等
* 国産オルゴールの第一号は昭和22年に設立された東京オルゴール株式会社(現在の東京ピジョン)。駐留軍兵士がおみやげに買っていく箱根細工や漆塗りの箱に使われていた。
* 同じ頃GHQからのオルゴールの引き合いを照会された通産省のはたらきにより長野県諏訪市の三協精機でオルゴールの試作に取りかかったのが昭和23年。朝鮮動乱で来日した米兵の土産品としてオルゴールの入った箱根細工の箱が大人気を博した。S23年6月:三協精機の1号機は「ちょうちょ」:まるでバケツの底を叩いたような音だったとのこと。
* オルゴールメーカーは昭和21年に静岡の清水に一社、昭和25年までには五社、30年までにはさらに16社の創立が記録されている。
* その後世界不況により過当競争を経て35年に三協精機は東京ピジョンと資本提携に入る。
* 参考までに当時のオルゴール生産台数の推移:昭和23年 2,000台 25年 10,000台 30年 100,000台 31年 180,000台
第2次大戦後、オルゴールの大規模な生産地はスイスから日本へ移った。株式会社三協精機製作所(現「日本電産サンキョー株式会社」)がオルゴールの製造を始め、小さなキーホルダーから大きいモデルまでのさまざまなオルゴールを供給した。自動化された工場による製造方法を築きついにスイスをしのぎ世界最大のメーカーとして市場の80%以上を占めるまでにいたった。現在、日本電産サンキョーは各種モーター、光ピックアップ、磁気カードリーダーなどの製造が中心でオルゴールは作っておらず、子会社の日本電産サンキョー商事株式会社の手に移っている。日本電産サンキョー商事ではオルゴールの旋律を電子化し着信音として携帯電話にダウンロードできるサービスも行っている。スイス、日本では今も高品質のオルゴール・ムーブメントが作られているが、安価なオルゴールの大規模な生産は現在中国に移動した。
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